パラパラスイカメモ

スイカ・フウのメモ帳

「マルタの鷹」で思い出すシリーズ

今週はもうひとつ映画見ようかな。

というわけで見たのがこちら。

 

マルタの鷹(字幕版)

マルタの鷹(字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 

ノワールではないのですかね、これは。ジャンル的にはハードボイルドなのですかね。

モノクロ映画ならもう何でもいいような気がしてきた。いや、何でもいいわけでもないんだけども。主人公が探偵ですね。ハードボイルドというのはノワールではないのかなあ。分類がよくわからん…。

 

こうした第二次世界大戦中にアメリカで制作されたハードボイルド・スタイルの映画についてフランスの映画批評家・脚本家のニーノ・フランクが「フィルム・ノワール(film noir)」と呼んだことから、映画においては「ハードボイルド」よりも「ノワール」という用語で語られることが多い。また「ノワール」はその後、文芸用語としても使われるようになったものの、本来、「ハードボイルド」と「ノワール」を明確に区切るラインがあるわけではない。

ハードボイルド - Wikipedia

 

明確なラインはないらしい。

 

タイトルをアマプラで見かけたときに、ものすごく懐かしい気がしたのですね。

子供のころに確か読んだ記憶が…記憶が?

いや、正直記憶は残っていないが、読んだような気分だけ覚えていた。

 

 

えーと…確かこのシリーズだったと思う…が、もう今は出版されていないのでしょうか。「文研の名作ミステリー」という名のシリーズがあったのですよね。

 

サムネがあるのが↑「バスカビルの魔の犬」くらいしかなかったのでこれを貼ったんですが、シリーズにはほかの作家さんのミステリーもたくさんございました。

アガサ・クリスティ「ABC殺人事件」、ディクスン・カー「ろう人形館の殺人」、エラリイ・クイーン「Yの悲劇」などですね。絵がよかったんだよな、そうそう。

 

ほかにもガストン・ルルー「黄色い部屋の謎」やフリーマン・ウィルス・クロフツ「英仏海峡の謎」コーネル・ジョージ・ホプリー・ウールリッチ「黒衣の花嫁」…もあったようだし、私もタイトルと読んだということだけは覚えてるが、内容すっかり忘れているという…。そういう器用な記憶のすっこ抜け方をしていますね。個人的な話ですが。今から読んでも初見の驚きが得られそうですね。何度も同じ本と初対面を繰り返している、そんなマイ人生。まあそれはどうでもいいんだが。

 

私が読んだのは図書館の本でした…って、年代がバレるのかこれ(誰に)。いや、特に誰にバレて困るという話でもないのだが。本の発行年に生まれたわけではないが、あまりハッキリ言いたくない気がしてきた。

当時はミステリーが流行っていたんですかね。子供が読むような内容とは思えんのだが、子供向けの本として図書館に並んでいたんだよなあ。すごい時代だったなあ。

 

そういうシリーズの中に入っていたのですね、「マルタの鷹」が。説明が長かった…。

 

話が映画から離れてしまったな。

うーん、特に感想がない…。失われた財宝「マルタの鷹」の像を探し求める話、ですかね。いや…どうなの、よくわかってないのかもしれんけど、私。見てたはずなのになぜあらすじを理解していないのか…まあそうなんだがなあ。何だろうな…。ううん…。

 

「マルタの鷹」のWikiによると、3度映画化されているらしい。アマプラにあるのは3度目の映画、1941年のジョン・ヒューストン監督、ハンフリー・ボガード主演のものですね。

そうそう、映画の公開年を書いておこうと思ったんだよなあ。1941年ですね。

 

モノクロ映画というと、40年代、50年代くらいが多いんですかね。今まで見ていた映画もそれくらいの年代だったと思うが。

 

「ノワール」のWikiにもあったが、ファム・ファタールというのが特色なんでしょうかね。ファム・ファタールというのは、

 

単なる「運命の相手」であったり、単なる「悪女」であるだけではファム・ファタールと呼ばれることはなく、それらを満たしながら「男を破滅させる魔性性」のある女性を指す。多くの場合、彼女たちに男性を破滅させようとする意図などはなく、複数人との恋愛をしたりお金を際限なく使ったりする自由奔放な生き方により、男性が振り回されることになる。

ファム・ファタール - Wikipedia

 

「マルタの鷹」だと、ヒロインのブリジッドがこれに当たるのですかね。いや…ううん…。このあいだからノワール、もしくはハードボイルドな作品を続けて見ているせいなのか、ファム・ファタール要素に飽きてしまってですね…わたくし。

 

ううん…。で、なんというか、ヒロインがファム・ファタールタイプなものだから、主人公は冷たく当たるわけなのですね。

 

そこがいいと思っていたが、何だろう、立て続けに見ていると、マッチョ世界の価値観な気がしてきてしまってですね…。マッチョというと言葉が悪いのかも知れんが、ほかにどういう言い方があるのかわからん。同性の「仲間」は大事にするが、異性は「警戒すべき相手」としてふるまうという…。そういう価値観が見え隠れして、確かに作品内でのヒロインの描かれ方は「警戒してしかるべき、騙されてはいかん相手」という感じではあるが、どうなんだろう…。なんというか…最初からそういう目で見ているから信用できないのではないかと…。うまい言い方がわからんのだが。

 

すべて時代のせいにはできないのかもしれんが、時代もあるのかなあ。それまで、映画では、女性は「守るべき存在」として描かれるものだった…。んだけども、この年代辺りから、「男性にバックアップしてもらう必要のない、自立した存在」として描かれるようになった…ということなのかなあ。カウンターだから、ちょっと極端な描かれ方をしている、ということなんだろか。いや、どうだろう、このメモではそこまで調べないけども。時代背景は。わたくし、特にそういう問題を描きたいわけでもないので。

 

んだが、もしそうだとしても、このファム・ファタールが浸透しすぎて、今度は「女性とは信用ならない存在である」という価値観に振りきってしまったような…そういうふうにも見えるが、どうなんだろう。もう昔の映画見るのやめたほうがいいんだろうか、私は。そういうところが気になるのであれば。そうかも知れんが…ううむ。もうちょっと見る。

 

ううむ。そういうところに引っかかりを覚えてしまったために、映画自体の感想が薄くなってしまったな。

あ~。

まあ、はい。こういう日もある。