パラパラスイカメモ

スイカ・フウのメモ帳

「誰も乗り気でないお茶会」

車のドアを閉める音がする。
バシャバシャという足音。
玄関のチャイムが鳴る。
時間通りだ。

 

正確に言うならば、「予定の時刻のきっかり5分前」だ。時間に正確な人間がやってきた。これはラッキーだ。トラシシはそう考えた。

 

ほかの場合ならいざ知らず、アリバイを作ろうというときに、時間にルーズな人間に来てほしくなかった。

 

「……」
訪ねてきた男を家に招き入れたはいいが、トラシシはなんと言葉をかければいいのかわからなかった。

 

男はびしょ濡れだった。トラシシが窓から外を見ると、雨が降っている。どしゃぶりだ。

 

雨の音には気づいていたが、これほどまでに激しく降っていたとは。
これからの手順を頭の中で繰り返すだけで精一杯だったのだ。
手順といってもトラシシにできることはそう多くない。

 

「ひどい雨ね。ごめんなさい、気がつかなくて」
トラシシはそう言うと、タオルを手渡した。タオルを渡された男は、こぼれ落ちる水分をざっと拭き取った。マスクをしているため表情が判然としない。トラシシと目が合った。暗く濁った瞳をしている。男はマスク越しにくぐもった声で言った。
「始めましょう」
トラシシは息をのみ、うなずいた。

 

「何を直しますか」
男は尋ねた。
トラシシは思い出した。
事前に決まっていたことだ。この、目の前の男が家電の修理のふりで数時間トラシシ宅で過ごす。事件が起きたとき、トラシシが現場にいなかったことを証言するためだ。ここは現場ではない。現場になる場所は遠く離れている。

 

「ごめんなさい、これしか思いつかなくて」
男は、トラシシの差し出したレコードプレイヤーを見て、しばし言葉を失っていた。
「かまいませんが……、わざわざ修理するのだから、使わないと不自然ですよ」
「そうね、こんな天気の日に修理屋さんを呼びつけて直してもらうんですものね。ただ、私、今までこれを使ったことがないのよね。急にレコード愛に目覚めた人みたいになってしまいそうな予感がする」
「まあ、そういうこともあるでしょう」
「ええ。私は唐突にレコード愛に目覚めるのね」

 

男は持ち込んだカバンを開け、中から修理道具を取り出した。

 

どんな家電製品でもかまいません。
トラシシは事前に言われた言葉を思い出した。

 

どんな家電でも直せるのだろうか。
アリバイを作る目的から言うと、直らないと怪しい。アリバイを作るために直せもしない家電を直しに来たように見えてしまう。それは事実だったが、事実だからといって人に知られてもいいかというと、そうでもなかった。

 

男は器用な手つきで道具を操った。
素人のトラシシが見ても、プロの手さばきに見えた。

「直ってしまいそうね」
思わず本音を口に出していた。

 

「直らないと怪しいでしょう」
男は作業しながらそう答えた。
もっともだとトラシシも思った。

 

レコードプレイヤーを最後に使ったのはいつだったろう。

自分で使った記憶はない。祖父のものだった。家にあったからには、祖父はレコードを聴いていたはずだ。どこにしまっただろうか。レコードもないのにレコードプレイヤーを直すのは不自然だ。

 

雨の音がやや大きくなった。

風が出てきたのだろうか。
にわか雨だろう。

 

部屋の中では、作業服の男がレコードプレイヤーの動作確認を行なっていた。

「直りました」
「えっ、もう?」
「ええ。部品を交換したので、その料金はいただきますが」
部品をどこで調達したというのだろう。
トラシシがマスクの中で腑に落ちない顔をしているのを感じ取ったのか、男が言った。
「電源回りの汎用性のある部品をいくつか持ってきたんです」
それが使えた、ということなのだろう。
電化製品にそれほど詳しくないトラシシは、それ以上突っ込まなかった。

 

「ずいぶん早く終わってしまったのね」
「雨がひどいもので」
「あ、ええ、そうね。この天候では運転もしにくいでしょうし、天気が回復するまで、ここで待ったほうがいいでしょうね」
トラシシは、とってつけたように言った。

 

お茶でもいかが。
トラシシは間を持たせようと、そう言葉をかけた。
男はうなずいた。予定の時間まで、ここで過ごすのが本来の仕事だからだ。

言ったからにはお茶を淹れなければならない。トラシシはお茶を淹れる準備を始めた。

 

「にわか雨でしょうから、1時間もすれば上がるでしょうね」
差し出されたお茶に手をつけずにいる男にトラシシは声をかけた。
「ええ」
男は、ほとんど眠っているかのような顔でテーブルに着いていた。
マスクを外しもしない。了承したものの、飲む気はないのだろう。

 

このふるまいが常識にかなっているのかどうかトラシシにはわからなかったが、今この場合において、トラシシは納得していた。自分だってそうするだろう。

 

トラシシは自分のカップを見下ろした。
自分で淹れたのだから、このお茶に何の危険もないことはわかっている。
だが、マスクを取りたくない。顔を覚えられたくない。
お茶を飲むとしたら、ひとりになってからのほうがいい。
どこまで効果があるのかわからないが、警戒はしておきたかった。

 

お茶を目の前にしているのに、まったく手をつけない。
手持ち無沙汰だ。
雨の音は、強くなったり弱くなったりしている。
水が建物に当たるパタパタという音がやや小さくなったとき、トラシシは口を開いた。

 

「また動くとは思いませんでした」
レコードプレイヤーの話だった。男には通じたようだ。
男は黙ってうなずいた。

 

「命を取り戻したのね」
それほど大きくないトラシシの声が、部屋に響く。

 

「ええ」
男もまた、静かに返事をした。
雨の音が再び大きくなり始め、ふたりは黙った。

 

にわか雨だ。
すぐにやむ。
やむことがわかっている雨が上がるのを、ふたりは待った。

 

(おわり)

 

 

お題で書いた創作話でございます。

お題を出したあの日のスイカ↓

suika-greenred.hatenablog.jp

 

今回は「濡れた髪からゆっくりと雫が落ちる」「暗く濁った瞳」のお題でした。

 

「ゆっくり」というのは何だろう、粘液なんだろうか、なんでゆっくり雫が落ちるんだろう、とか。「暗く濁った」というのは何だろう、目が見えていないということなんだろうか…とか、いろいろ考えてはみた。「卵から生まれた生き物」とか…。しかし、そっち方向ではどうにもならんかったのでこういう感じの話にしました。

 

お題曜日にも書いたけども、ややダーク寄りにしようと…なんとなくそれっぽい単語を並べてみたり。アリバイって何のアリバイなんだ、何の事件なのよ。などと自分でも思ったり。

 

タイトルもなんとなくつけてみたが、ふたりしかいないのに「誰も」と言ってしまっていいのだろうかとか…そういうアレもあるわけですが。

 

名前の「トラシシ」は、なんだろう、たとえば「タカハシ」さん、「タカナシ」さんのような名字を使いたかったんだけども、こういう話に実在する名前を使っていいんだろうか…と迷ったため、ありそうもないけど似た音のトラシシに。動物連打の勇ましい名字…ですかね。

 

ずっと「男」「男」言っているのはいいのだろうか?とは思っていた。

これは…どうなん。大丈夫なのだろうか。個人的には「女」「女」と連呼する勇気はないんだが、男性の場合はどうなんだろう、今まで通りの価値観だったら「男」呼びも一般的だと思うが、いや今のご時世それもまずいのかな、でも創作だし、そこまでおかしい言い回しでもないと思うが…と、さんざん迷った末の「男」呼びでございました。迷ったからといって免罪符になるわけでもないんですけどね、ええ。

 

この話はしかし、修理に来るよりも、新品を買ったことにして届けに来る、というほうが自然なような気もする。修理なら事前にどんなパーツが必要かとか、もっと連絡が必要になるだろうし。

 

…という、己の話の脆弱性を指摘したところで今日のメモおしまい。

 

 

今週のほかのお題。

 

「見なかったことにしてほしい(わがまま)」「残り香」↓

suika-greenred.hatenablog.jp

 

「星が降る夜に笑いながらひたすらに後悔した」「反抗的な目」↓

suika-greenred.hatenablog.jp