パラパラスイカメモ

スイカ・フウのメモ帳

「哀愁」~個人的ヴィヴィアン・リー祭り2

今週は個人的ヴィヴィアン・リー祭りを開催しているので、今日も映画を見る。

 

来週はマーロン・ブランド祭りを細々と開催したい。なぜ細々なのか…いや、私の今の環境で見られるマーロン・ブランド映画の数が少ないからなんだが。だけども、アマプラで見られるマーロン・ブランド映画もまったくないわけではないので、来週はそれを見ようかと。しかし今日はヴィヴィアン・リー。

 

今日はこちら。

以下、ネタバレ注意。

 

哀愁(字幕版)

哀愁(字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 

「哀愁」1940年アメリカ公開。

 

なんか…サムネが何なのかわからんのは私だけだろうか…。遠くから見ると何なのかわからんな…。上半分は手ですね。ビリケン人形を持っている手。「ビリケン人形」というのは、

 

 ビリケン (Billiken) は、尖った頭と吊り上がった目が特徴の子供の姿をしている幸運の神の像。 1908年10月6日にアメリカ合衆国のフローレンス・プレッツがデザイン特許を取得した。

 

ビリケン - Wikipedia

 

らしい。日本発、もしくはアジア発じゃなかったのか…知らんかった。

 

映画の中の年代は第一次世界大戦中ですね。しょっぱなと最後に1939年になる。けども、第一次世界大戦は1914年から1918年なので、けっこう作中で時が流れているということですかね。見ているときにはよくわからなかったな。

 

立てつづけにヴィヴィアン・リー映画を見て思ったが、似たような役どころが多くね?なんというか…一見清純派に見えるが、実際はそうでもない役どころが多い気がする。映画のヒロインってだいたいそういうものなのかなあ。そうでもない気がするが、これはヴィヴィアン・リーならではの役かぶりだ!と主張できるほど映画をたくさん見ているわけでもないので、何とも言えぬ私だった…。ほかの俳優さんと比較してどうか、というのは、何とも言えません。

 

Wikiによると、

 

 本作で主演のヴィヴィアン・リーは、前年製作の『風と共に去りぬ』では乱世を生き抜く強い女性を演じたが、本作ではその反対のか弱い踊り子を演じている。

 

哀愁 (映画) - Wikipedia

 

とあって、正反対の役どころらしい。あ、そうなの。私の印象と違っていますね…。私の目には、似たような女性に見えていました。生活のためにどんな仕事でもする、という意味では似ている気がするんだが。と、なぜか似ていることにしたい私。いや、そういうわけでもないんだが…。

 

これは、話が何というか…。ううむ。「せつない」と言ってしまっていいのだろうか。「せつない」ともちょっと違うのかなあ。どう表現すればいいのだろう。見終わったあと、何とも言えぬ感情になった。で、「どうすればよかったのだろう」と考えた。

 

こういうことを考えるということは、いい映画…なのかなあ。とも思った。個人的な好みの問題もあるんだろうけども…まあそうですわな。とは言っても、この映画も別に好きというわけではないんだが。

 

まあ、考えた結果、「どうにもならんわなこれ」だったわけですが、マイ結論。いや…ううん。別に過去どういう仕事をしてようがいいではないか…と思うが、映画の中のあの…えーと、クローニン大尉。クローニン大尉の家の感じだと、受けいれてもらえない、ということなのでしょうね。確かにそうなのかなあ。いやあ…ひどい話ではあるが。

 

現実的な話ではあるのかなあ。以前に見た「オペラハット」では、ヒロインは仕事をやめてどうする気だったのだろう?と思ったものだが、こっち方面に行くヒロインもいるということなんだなあと…。ヒロインというか、現実がそうだったということなのか…。だいたいそういうふうになっていくものだったのか。こういう話苦手なんだよな、個人的に…。苦手だからと言って避けていいという問題でもないんだろうけども…。ううん。

 

どうなんだろう、戦争中にはよくある不均等なのですかね…。不均等というのか、何というのか。性別が逆だった場合、ああいうラストになっただろうか…と思うが、なったかもな。なにしろ映画だし。悲劇、あまりの悲劇に悲嘆にくれて思い詰めてしまうのは、映画の中では男女関係ないのかもしれない。ある意味ジェンダーフリー?悲劇という甘い果実の前に人は平等になる。

 

とは思うが、どうだろう、ううん…女性のみ貞淑さが求められて、生活のため、生き延びるためにしなければならなかった仕事にその後、足を取られるというのは…。ううむ…。何とも言えんが、嫌なものだなあと…思う。どうすればよかったのだろうと思うが…。社会の常識が変わらん限り、後ろめたい思いを抱かねばならず…。

 

というのと、ほのめかされたときにクローニン大尉も、その母親も、ヒロインを呼び戻そうとはしないんだよな。それは無理、ってことなんだろうなと思うとなあ。残酷だなと思うが、そういう種類の社会に暮らしていたら、そうなってしまうのかなあ。ううむ…。

 

以前に読んだ記事で、病気をうつされて大変な目に遭った、というものがあった。今貼らんけど。どこで読んだか忘れてしまったうろ覚え記憶なもので…。うろ覚えではあるが、内容はたぶん合っていると思う。映画ではそこまで描かなかったんだなとは思った。映画の中のラストのような手段を取らなくとも、生きたくても生きられない場合も多かったのだろうなと思うと、ううむ…何というのか。

 

ううむ…どちらが不幸か、と比べることに意味はないとも思うが。いや、そういう意味でもなく…どちらが不幸かという比較でもなく…。恥じてはいけないのではないかなと思って。じゃあどうすればよかったのか…。わからんけども…。ラストのヒロインの行動はあまりに映画的だと思うが、ではどうすればよかったのかというのは私にはわからん…。

 

しかし、この映画、何というのか、悲惨なばかりではない印象があるんだよなあ。物語運びのうまさを感じる。歯車が噛み合うところ、合わなくなり始めるところ、また合うところ、合わなくなるところ。そういうところがはっきりしていて、何というの、きれいに運んでいるなという…なんか変な感想だけども。フィクションとして見ると、きれいなフィクションだなと…そんなことを感じた。

 

あ、とは言っても、「作りもの」という意味ではなくて…上手だなあと思って。マイ心のポイントが加算された。マイ心のポイントが溜まるとどうなるのかはわからない。何かが何割引きかになったりするのだろうか。よくわからんが。