「He responds with a slurp sound.」
「モカは。モカは無事なんですか」
ナグサが早口に言った。
「落ち着いてください。別に誘拐されたというわけではないんですから」
ソーダは血相を変えたナグサをなだめた。
「俺が……俺がもっとしっかりしていれば」
ナグサはそう言って紙パックのお茶を音を立てて飲んだ。混乱しているのだろうか。
なぜかストローでお茶をちゅーちゅー飲んでいるのを見ると平和な光景に思えてしまう。ソーダはそんなことを思った。もっとも、ナグサはナグサで、この3日ほど何も食べておらず、その当然の結果として今、猛烈な飢餓感に見舞われているらしい。それほど平和な光景とも言い切れないのかもしれない。
以前ならば、そんな相手と話をするときには飲食店で食事をしながら話をするという選択もできただろう。しかしソーダは、このご時世でそんなことをする気にならなかった。ソーダがその気になったとしても、近くにある飲食店は中華料理屋のみで、その店も今はシャッターが降りている。夜間の営業時間を短縮しているのだろう。
そんなわけで、ナグサはコンビニエンスストアで食料を買って、夜の公園にやってきた。コンビニのイートインも夜間は閉まるため、ほかに行くところがなかったのだ。ソーダはそのあとにつづいた。
ナグサはベンチに座ると紙パックのお茶にストローを差した。
ソーダは周囲を見回した。
辺りに人影はない。
こんな光景を誰かに見られたら、怪しまれるに違いない。
職質されたりしたら嫌だな。
そんなことを考えたソーダは、手短に切り上げることにした。
「モカちゃんのことですが」
ナグサは黙ってソーダを見た。
「ヒヨコさんが引き取りたいとおっしゃっています」
「あいつ」
ナグサはそう言いかけ、言葉を飲み込むようにお茶を飲んだ。
じゅう~。
夜の公園にナグサがストローを吸う音が響く。
じゅうじゅういう音を無視してソーダは続けた。
「今日、道に迷っていたモカちゃんをヒヨコさんが保護したらしいんです」「迷っ……」
「ええ。迷い犬になっていたらしいんです」
「え、なんで?」
「なんでと言われましても」
「うちオートロックだぞ。どうやってモカは外出たんだ?」
「ヒヨコさんによると、もともとモカちゃんには、人が外に出ようとするとその隙をついてスルッと出ていこうとするところがあったようなんです」
「そうだったか?……俺はてっきり、あいつがうちのマンションからモカを連れ出したんだとばっかり思ってたよ」
ナグサは、お茶のパックを呆然と見ながらつぶやくように言った。
「ヒヨコさんとしては少し思うところがあったようで……やはり自分がモカちゃんを引き取りたいとおっしゃっているんです」
「ダメだ」
ナグサはソーダの語尾にかみつくようにピシャリと言った。
「モカがいなくなったらどうやって暮らしていけばいいんだ。何のために起きて眠るのか、何のために働くのか。何のために食べるのか。モカがいなかったら俺なんて本当にどうにもならんのだぞ」
口調は横柄だったが、中身はたいそう卑屈なナグサの主張を聞きながら、ソーダは不思議な思いにとらわれていた。
正直なのか、何なのかよくわからない。
そこまで言わないでほしい。
ソーダは思った。
気の毒になるのでやめてほしかった。
そこまでひどくないでしょう、と言いかけて、他人が言うことではないかもしれないと思い直し、言おうとした言葉を飲み込んだ。ソーダはとにかく用件を伝えることにした。
「ヒヨコさんが引っかかっているのは、モカさんがいなくなってからナグサさんが何の手も打たなかった点らしいのです」
「俺だって……俺だって探したさ。マンションの周りを何度も捜索したよ。でも見つけられなかったんだよ」
半分涙ぐんだナグサは、ストローを吸おうとして、もう中身がないことに気づいた。
自然な動きで、そのまま紙パックの上下を剥がし、広げる。
「俺戦う」紙パックを伸ばし終わったナグサは宣言した。
「戦う、とおっしゃいますと」
「弁護士雇う」
「調停を申し立てるということですか。話し合う余地はないと……」思わずソーダの語尾が尻すぼみになった。
「話し合いって何を話し合うんだ」
「どちらがモカちゃんを引き取るか、話をして決めるのは無理だということでしょうか」
「うわ。そういうの俺苦手よ」
弁護士を雇うのに躊躇はしないのに、直接話すのは嫌なのか。
ソーダは訳がわからなかった。
しかし、用は済んだ。依頼はナグサの意思を確認して報告するところまでだった。
あとはナグサに断られたことをヒヨコに伝えればいい。
ひとまずここはいとまを告げようとしたソーダに、ナグサは言った。
「俺はモカを絶対に手放さねえからな」
ナグサは紙パックを片手に持って立ち上がった。見回しても公園にゴミ箱がなかったため、そのままコンビニの袋に突っこむ。そしてソーダに軽く会釈をしてから公園から出て行った。
ソーダはナグサの後ろ姿を見送った。ナグサが去ってから少し時間をおいてソーダも公園から出る。
夜が更けていた。
ヒヨコさんに連絡するのは明日にしよう。
帰りに紙パックの飲みものを買おうかな。
ソーダはそんなことを考えていた。
自分もじゅうじゅう音を立ててストローを吸ってみたくなったのである。
ひとことで言うと、やけくそだった。
(つづく)
(2/3)
☆
お題で書いた話です。 お題を出した、かつてのスイカ↓
今日は何だろう、どのお題なのか混乱しているな…。
「深夜に中華料理屋で迷い犬と遭遇する、無念を感じている」のお題ですね。
厳密にお題使えてないんだけども。このご時世に「深夜に営業している中華料理屋」を書いていいのだろうか、という迷いが生じたため、中華料理屋出せませんでした。店じまいしてると、なぜそこにいるんだ感が出てしまうし。登場人物を中華料理屋スタッフだという設定にすればそれでも自然だったのかもしれんが…それだと私は何も思いつかなかったんで使えんかった。
「モカ」というのが「迷い犬」の名前ですね。で、ナグサさんの別れた恋人(?)が、「ヒヨコ」さん。その1で、わざと混同するように書いてみたんだけども、ここでそれが明らかになった…のだろうか。どうだろう、書いているとよくわからん。少なくとも、私はそのつもりで書いておりました。
で、コンビニの袋。どうなんだろう、袋を有料で買う人はあまりいないのだろうか…、でもここに出てくるナグサさんがマイバッグを持参したとは思えない…ということで、コンビニ袋を持っていると書いたんだけども。ううん。飲み終わってないほうがよかったんかなあ。ゴミ持って帰るのは書かなくてもいいのかなあ。ううん…。
どうでもいいんだけどもさ。どうでもいいからこそ迷いが生じた。
タイトルは、「ズルズル音で返事をする」という意味にしたかったが、まだわたくし、自力で英作文できないので、DeepL翻訳でマイ日本語を英訳してみた。これを逆に日本語にすると「スルッとした音で応える」となるんだが、どうなの、私の意図した意味になっとるんだろうかこれ。よくわからない。
「a slurp」ですする音のようなんだよな。日本語を「じゅうじゅう」とか「すする」「ズルズル」と書くと「slurp」が出てこないので、ここだけ英語で書いたんだが。
「ずるずる」と日本語で書いて英訳すると「cheating」が出て来てしまったんだよな。それだと「ずる」の意味が違う…。
「すする」にしたら「sipping」が出てきた。こっちのほうが品がいいのかな?
ちびちび飲む、すする、という感じ…かな。
なんとなく「slurp」は、あまり品がよくなさそうな気がするんだが、そっちのほうが私の意図したイメージに近いのかなと思い、使ってみた。ナグサさん、プチ極限状態なので品をかなぐり捨てているイメージだった。なんでそんなことになったんだ…まあ、無意味な設定なんだが…。
「slurp」のマイイメージも合ってるんだか何だかわからん…違ってたら「slurp」に対して大いに失礼な気がする。
読み返してみると、そこまでちゅーちゅー音で返事してなかったな。いっきに飲みすぎですね…。もうちょっとゆっくり飲んでもらって、返事をじゅうじゅう言わせたほうがよかったのかもしれない。いや、よくないけどさ。お行儀は悪いんだけども。