パラパラスイカメモ

スイカ・フウのメモ帳

「サンセット大通り」配役の妙

今日も映画を見ましょうか。

今日はこれ。

 

サンセット大通り(字幕版)

サンセット大通り(字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 

先週見た「深夜の告白」の流れですね。

 

suika-greenred.hatenablog.jp

 

流れというか、同じ監督ですね。ビリー・ワイルダー監督。マイアマプラの関連映画に上がってきたので見ました。

 

ja.wikipedia.org

 

↑Wikiのサムネはポスターらしい。このサムネ、というかポスター、いいよなあ。と思った。もうこのポスターだけでいいような。何がいいのか知らんが。

 

見た感想は…。正直、どこかで見たような既視感があった。この映画、私は初見だと思うのだが。

この映画のあと、「サンセット大通り的なもの」がたくさん作られ、私はそれを見たことがあった、ということなんだろうか。どれがどうなのかよくわからんのだが…。昔の名作というのは、その後似た印象の…と言ってはいかんのか、インスパイアを受けた作品が多いということでもあるのかもしれない、と思った。

 

過去の栄光にすがる女優さんの話なんだよな。

…ほかに説明のしようがない…。Wikiには「フィルム・ノワール」と書かれていて、これもノワールなのかと少々意外に思った。意外も何も、しょっぱなから男の遺体がプールでプカー!なので、ど真ん中ノワールなのかなあ。犯罪が絡んでくるとノワール度が上がる?のかしら。

 

プールに憧れていた男が、その憧れていたプールで発見される事件。「プールに憧れていた」というのは作中で使われる言い回しですね。そういう豪邸に住みたいと思っていた主人公なのですね。そこら辺のモノローグは好きだったなあ。面白かった。

 

主人公がしょっぱなからえらいことになっているわけですが。「深夜の告白」もそうだが、しょっぱな事件がドーン!と、だいたい冒頭で主人公がひどいことになって、そのあとなぜそんなことになったのか、という経緯が続く感じなのですかね。ワイルダー作品て。ふたつしか見とらんのでそのパターンばかりなのかどうか知らんが、逆にふたつしか見てないのに連続でそのパターンが続くというのも多い気もする。

 

私は…個人的にそのパターンがあまり好きでないので、冒頭で入りこめなくて見るのに結構苦労した。ううん…。

 

あくまで個人的な感想だけども。

時間の流れ=感情の流れだとすると…、

唐突にマイ仮説が出てきてしまった。映画の場合はだいたいそうだと思うが。

誰の感情なのだろう。見ている人、もしくは主人公の感情の流れだと思うが、どっちなのか、言ってる私にも判然としない。

 

いや、時間の流れ=感情の流れだと思って見ていたものでさ。私は。なのに、冒頭で事件が起きて、時間が巻き戻って、事件の発端から説明が始まる…。

という流れになってさ。どうやら私はそういうのがあまり好きじゃないらしい。事件…。事件なあ。

ネタバレになるのか知らんが、「メメント」を思い出した。あれは、私にはめんどくさくてなあ…。構成が凝っている話は好きなんだが、あれはちょっと駄目だったなあ。感情の流れをいったんストップさせて、また別の話…別でもないんだろうが、0とか1まで感情レベルを下げられてしまう感じが、あまり好きでない…。

 

時間が巻き戻る時点で、「めんどくせぇぇ」という感覚が5割増しくらいになる。あくまで個人的感想だけども。

時間巻き戻り系といえばSFっぽいし、SFは好きなんだがなあ。ううん…時間が巻き戻る=めんどくせぇという感覚がどうも刷り込まれているらしい、マイ精神。時間を自由自在に操る能力があったとしても、たぶん使わないのだろう、私は…めんどくせぇから。なんつう理由なのか…。めんどくさいめんどくさい言う大人というのは、みっともないものですね…。まあそうなんだが。

 

話はなあ…。これ、今だとどうなるんかね、女性に対する何か…でもないんかなあ。女優さんというのは、若くないとできない職業ではないとは思うが…。その女優さんにもよるのかなあ。若い女優としてデビューして、うまく切り替えができないと過去の人になってしまうのか…。それは男女関係ない気がする。まあそうだなあ。

 

「哀れな人」扱いになっていてさあ。ノーマさんが。ううん…。あんまり。ううん…。メンヘラ的手法というのは、今も昔も変わらんのかなあと思った。それが失敗に終わると目も当てられない、本当に気の毒な感じになってしまうんだが、映画内では(最初は)成功するんだよな。それは他人事ながら、なんかホッとした。ホッとするのも変だが。

 

というのと、過去の栄光は今も健在で、今映画に使ってくれる人はいないけども、過去の人としては人気がある、という立ち位置なんだよな、ノーマさん。本当に忘れ去られてるようにも見えなかった。のと、そもそも豪邸に住んで贅沢三昧、外車を所有して、往年のスターと今でも交友があって、集まってトランプゲームしてたりする…。って、それほどみじめでもない気がした。「本人がどう思うか」というのと、「他人から見てどうか」というのはまた別の話なんだろうけども。

それにプラスして、召使いマックスが現実をひた隠しにしていることが、ことをややこしくしている気がしないでもない。どうなんだろう、マックスがいる限り、他人から見るとそれほど不幸ではない感が出てしまうんだろうか。よくわからんが。

 

今の映画だとしたら、どうなるんだろう、もっと落ちぶれた感じにしてしまうのかな、こういう話だと。確かにそれよりは、こういうほうがいいかもな。どこか優雅な絶望が描かれていて、なんというか上品で良かった…のかもしれない。

 

そんなことを思いながらWiki読んでみて、Wikiのほうが面白くて驚いた。

配役の妙に。

俳優さん、監督が、本人を連想させる役どころで出演している、というところですね。そうなのか。そういうのを知っていると、確かに本当に面白いのかもしれない。

 

ノーマ・デズモンド役のグロリア・スワンソンは、ともに今は落ちぶれた、サイレント時代の大女優である。また、ノーマに忠実に仕える召使で、かつて映画監督だったという設定のマックス役を演じたエリッヒ・フォン・シュトロハイムも、1920年代を代表する映画監督であり、劇中でマックスが上映するノーマ主演の映画は、シュトロハイムが監督、スワンソンが主演した『クィーン・ケリー』である(この作品は完璧主義者のシュトロハイムが演出にこだわりすぎたせいでスワンソンと衝突、撮影中止になり、幻の作品となった)。

サンセット大通り (映画) - Wikipedia

 

これはしかし…。だとすると、ノーマ・デズモンド役のグロリア・スワンソンはマックスのいないノーマそのもののような気がするが…。この役どころでよくOKしたよなあ。と思うが、この作品でゴールデングローブ賞取ってアカデミーノミネートされたりしたようなので、そうかあ。そういうものなのか…。

 

グロリア・スワンソンのWikiも読んでみて、結婚回数の多さに驚いた。ええっ、もう、なんか映画の印象どっかいってしまったんだが…。波乱万丈な人生だなあ。この人は、別にみじめではないように見えてしまうんだが…。いや、私の勝手な感想だけども。しかし、みじめではないからみじめな役どころが演じられる、ということにしてしまいたいマイ欲求が沸き起こり、始末に困る。いやあ、まあそうね、他人は勝手なこと言うものだなあ、という。それに尽きるのでございましょうかね。