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スイカ・フウのメモ帳

「オペラハット」~ディーズ氏が街に行って見つけたものとは

今日も引き続き映画日和。

今日は「オペラハット」を見ましょう。

 

オペラハット(字幕版)

オペラハット(字幕版)

  • メディア: Prime Video
 

 

1936年公開。

 

これは…。

なんだかすごく面白かった。いや、最後のほう、ちょっとダレてしまって(私が)、「あと何分あるんだろう…」と思ったりもしたが、序盤は特に面白かったなあ。

 

やっぱりこれもラブロマンスなのですかね。何だろうな、ちょいちょい面白くて…。

 

「変人」のエピソードではあるんだけど、ギリギリ、なんというんだろう、突飛すぎない感じというのですかね…。主人公は「天然」ぽいけど、筋は通っていて芯もある、という感じで描かれていて、すごく良かった。

 

なんでこのタイトルなんだろうか。原作のタイトルなのですかね。

 

『オペラハット』(原題・英語: Mr. Deeds Goes to Town, 「ディーズ氏、街へ行く」の意)は、1936年に製作・公開されたアメリカ映画である。1935年に発表されたクラレンス・バディントン・ケランドの物語『オペラ・ハット』の映画化。

 

オペラハット - Wikipedia

 

映画の原題は「ディーズ氏、街へ行く」なのか。Mr.Deeds Goes to Town。そっちのタイトルも何だかよくわからんな…。

 

アカデミー賞監督賞取っているのですね…。作品賞、男優賞、脚色賞、録音賞も、ノミネートはされた…。ノミネートされるのもすごいんだよな、たぶん。やっぱり賞を取っている映画は基本的に面白いんだろうか。どうなんだろう。

 

後半、法廷のシーンで、主人公に不利な証言が重なっていくと「ああもうこれダメだ…」という気がしてしまって「どうするんだろうなこれ…」感が強まった。

どうするも何も、論理的な証拠とかではなく、傍聴人、証人がその場の空気を作りだして解決するという…そういう感じだった。あ、ネタバレ注意。今更だけども。

 

私が日本人だからかも知れんが、判決がどうであったとしても、ここまで不利な証言が積み重なっていったら、実際どうであってももう印象を覆すのは難しいよなと…思ってしまうんだよな。印象の問題なんだけども…。

 

大金を相続する際、精神疾患を理由にして権利を失わせる、というようなことは、よくあるんだろうか。

あ、違うか。もうお金の相続の問題ではなくて…。判決で「精神疾患がある」ということにされてしまうと、今まで通り、故郷で暮らすこともできなくなるのかな?と思ったんだよな。

なんというか、「こいつは異常だ」と思われてしまったら、裁判の勝敗関係なく、その後生活すること自体が難しくなってしまうというか…。

 

そのまんま「差別」だよなあこれと…思ったりした。ちょっとやそっと反論しただけではどうにもならないような怖さを感じた。

 

まあ、映画ではちょっと反論しただけで傍聴人が大盛り上がりしたりして、「あ、意外とちょろい」感があったけども…。反論してもまだ疑われたら大変つらいが、そうならなくてよかったよな…うん…。

 

今だともうちょっと違う扱いなのかなあ。それとも相続に関しては今もああいう感じなのかなあ。精神疾患の扱いがひどい気がした。

 

途中まで「ローマの休日」の男女逆バージョンっぽかったんだよな。ヒロインが新聞記者だし。途中でローマ感はいっさいなくなるけども。ヒロインも新聞記者やめてしまうし。あ、ネタバレ注意。遅い…。

 

仕事辞めてどうするのかという気もするなあ。個人的思い込みで、昔はどこもかしこも景気がよかった気がしてしまうが、どうだったのだろう…。

 

アメリカのGDPは1936年に恐慌前の水準に回復したものの37年不況により再び34年の水準まで逆戻りして、1941年まで恐慌前の水準に回復することができなかった。ニューディール期間中財政支出赤字の対GNP比が10%を超えた年は2度である。アメリカ経済の本格的な回復はその後の第二次世界大戦参戦による莫大な軍需景気を待つこととなる。

 

世界恐慌 - Wikipedia

 

基本的に景気悪かったっぽい。第二次世界大戦というのは、軍需による景気回復を狙う意味もあったのですね…アメリカにとっては。そうか。当たり前なのかもしれんが。

 

そういえばそうだよな、作中でも職を失ったファーマーたちが列をなしていたものな。彼らを助けようとしたことが主人公を窮地に追いやり、そして主人公の助けにもなるわけだが…。ううむ。

 

となると、ヒロインは安易に職を手放しすぎじゃないかという気もする。映画の中ではそんな描写はないが、お金持ちとハッピーエンドになるから仕事をやめても大丈夫、ということなんだろうか…。いや…男女関係なく、たがいにセーフティネットになれるのなら、それに越したことはないと個人的には思うが…。

 

というか、わたくし、ここら辺は脳内で「映画には描かれていないが、ヒロインはその後、自力でどこかに職を得たはずだ」という補正をかけて見ていた。なんというか、オプティミストっぽいけども。あまり深く考えていなかった。

 

あとは…。

最初のほうで、ヒロインが自分の故郷の話をするところがいいんだよな。あと、父親の話と。そこからドラムの話になって、チューバの話になって、即興演奏会のようになって…という、あの辺の流れが個人的には好きかなあ。いいシーンだなあと思った。月並みな言い方ですが。

 

あと、ホールで使用人とエコー対決する主人公とか。あれも面白かったなあ。

 

故郷にいたら、たぶんそういう生活がずっと続いたんだろうなと思った。独特で楽しい生活が。故郷にそのままいたほうが良かったタイプの人なのかなあ。しかし、ディーズ氏が都会に出てきてくれたからこそ、恩恵を受けられた人がいて…。

 

ディーズ氏はだいたい損してるんだよな、都会に行って。大金は得たと言ってもなあ。失うもののほうが多すぎて…。お金以外に唯一得たものと言えば、ヒロインとの出会い…というか、いわゆる「愛」で。

 

しかし相手の思いがわかった途端に息を吹き返した辺り、恋愛に振り回される価値観なのだろうし、ディーズ氏は街に行って一番大事なものを得た、ということでいいんだろうか。まあ、そうなのかもしれない。

「恋愛さえうまくいけば映画としてはハッピーエンド」という価値観も、なんというか潔く感じた。映画らしい映画だなと思った。

 

 褒めているのかこれは…。私としては褒めているつもりなのだが。